ilktmのブログ

思ったことを少しずつ書いていきます

「漫才とコントはほぼ同じ」と感じた話(2023年M-1感想)

こんにちは。ilktmといいます。

あまりブログは書いてなかったのですが、なんとなくメモ代わりに気軽に書いていこうと思います。

今回はタイトルの通り、漫才とコントはほぼ同じではないかな、と感じたことについて書いていきます。

 

☆☆☆☆☆☆☆☆

 

去年のM-1。私は久しぶりにリアルタイムで見ました。

M-1は第一回から楽しみに見ていたのですが、ここ数年はちょっとお笑い自体を見なくなっていたので、M-1もあまり見れていませんでした。

 

今回久しぶりにリアルタイムで見るM-1は、楽しく見ることができました。

ただなんというか、自分にはついていけないところもありました。

理由としては、漫才のスピードが速く、ネタも漫才をよく見ている人向けのような感じを受けたからです。

久しぶりにM-1を見た自分としては、ポカーンとしてしまう時間が多かったです。

逆にお客さんはM-1に慣れているというか、早いネタもシュールなネタも拾って、昔見ていたM-1とは会場のあり方が変わったなと感じました。

もちろん自分が漫才に慣れてなかったり、年齢のせいでついていけなくなってる部分はあると思いますが。

 

本題に入ります。

漫才とコントはほぼ同じではないかという話です。

 

M-1は字の如く、漫才のNo. 1を決める大会です。

だから漫才でないといけません。

漫才からコントに入るいわゆるコント漫才でもいいですが、導入は漫才である必要があります。

ただ、M-1を久しぶりに見ていて思ったのは、漫才も「台本」があり、それを演じていることには変わりないのだから、コントみたいなものではないか?ということです。

 

お客さんは、漫才はアドリブではないことを知っています。

漫才師も、台本に沿って今まで練習してきてそれを演じています。

この暗黙の共通理解を、客と漫才師が持っている訳です。

 

コントも同じです。

コント師が台本の通りに演じているのを、お客さんは知っていますし、コント師もそれを前提として演じています。

 

つまり漫才もコントも、台本を演じているのには変わりがない訳です。

 

久しぶりにM-1を見た自分は、これを少し奇妙に感じました。

 

漫才師は、相方のボケを初めて聞いたように会話をします。

でも実際は何百回と練習して聞いた話でしょう。

それをあたかも初めて聞いたかのように演じて、ツッコミを入れるのです。

「いやいや、初めて聞いた訳じゃないじゃん!知ってるよね?」

と観客が言うのはタブーです。

「『俺ラーメン屋の店主やってみたいねん』って言ってるけど、本当は思ってないでしょ?」

というのもタブーです。

何度も練習してること、思ってないことを言うこと、それらは観客は知っているけれど、それは言わない約束?で見ているのです。

これはコントでも同じです。キャラを演じているということを前提で見ているので、演者の素のセリフや仕草が出るのはおかしいということになります。

コントの最中に演者が笑って吹き出してしまうのは基本的にはおかしなことになってしまいます。

 

こういう訳で、漫才とコントはあまり変わらないのでは、と感じた次第です。

 

漫才と言えども、ある意味架空のキャラを演じている部分もあり(悪口キャラなど)、漫才師の人柄そのままで漫才しているわけではないことが多いです。

フリートークやひな壇でのキャラと、漫才でのキャラを使い分けてる漫才師は多いかなと思います。

 

もはや漫才は漫才というより、コントの一部なのではないかとすら思えます。

漫才とコントは別ではなく、コントというジャンルの一つに漫才があるとも言える気もします。

 

もし本当の漫才というものが存在するなら、それはマイクを挟んだ即興のフリートークではないかなと思います(個人的な意見です)。

 

私としては、そんな漫才を本当は見たいような、そんな気持ちになった2023年M-1でした。

 

☆☆☆☆☆☆

 

久しぶりにブログというものを書きましたが、なかなか疲れますね。

これを書くのも時間もかかり、結局2月になってしまいました。

文体や改行などどうすれば分からないまま書きました。はてなブログは行間が広いんですね。またカスタマイズしないといけないかなと感じました。

 

また気が向いたら次も書こうと思います。

お読みいただきありがとうございました。